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2012-06-26

http://ameblo.jp/lunacreation/entry-11283911361.html


思い出探し隊発起人竹澤さんそして私の言葉を載せて頂いています
私は各地で起点になって頂いている方に関わっている方々の中から
そして次の世代の中から、新しい物語が生まれて欲しいと伝えました



ブログにありますが、震災を伝えきる事は出来ないというのはその通りだと
思います。分からない事はやっぱり分からないし、分かれない

逆に当事者しか分からない部分を語るのはおこがましい部分もあります

かつて活動して頂いた思い出探し隊のGさんを思い出します
安心感を持たれる方だったと思います
言葉の怖さを知り、今の自分を知り
伝えるべきことと言ってはダメなことの線引きが
きっちり出来ていた方でした



ただ竹澤さんの言葉を引用させてもらいますが、それも
「人の気持ちを考える想像力」だと思います

「災害に合ったことがなかったり、生活や大切な家族や友人を
なくした経験がなければ、わからない思いはたくさんあります。
でも、自分だったらと想像し思いやりを持って行動して頂けると、
私達は心まで支えて頂けたと思えるのです」

相手の気持ちを想像出来る力
それは今の自分が伝えれることが分かることでもあると思います

繰り返しになりますが、各地で起点になって頂いている皆さんに
関わっている方々の中から、そしてこれから関わる次の世代の中から
新しい物語が生まれて欲しいと思います

当事者の声や感情にアンテナを張り続け、そしていつまでも
寄りそい思いやる気持ちを忘れないで頂きたいです
その上で伝えること、接することに一歩踏み出す勇気を
持って欲しいと思います


2012-06-17

「情勢論と存在論」

情勢論は既存の枠組みの中で考えること。
存在論は、そもそも論「そもそもその枠組みってどうなの?」から考える。

情勢論と存在論を対比し、私たちは情勢論で物事を見るのに慣れている、という。
しかし、存在論的に考えるためには、常識の背後にある「見えないもの」をつかみとらなくてはならない


これを読んで情勢論はボランティアにも当てはまる部分があるかもと思いました

今写真洗浄が目の前で出来ることであり、劣化を防ぐためにもまずしようと
離れた場所で活動されている方からメッセージをもらうことがありますが
「現地に行って何かしたいけどとりあえず目の前で出来ることを」
という考えの方が多かったと思います

おかげで多数の写真が救われています。ただ・・・

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今日は武蔵小杉で活動されている小林郁子さんがお見えになりました

ゆりあげに関わって頂いている方の中でも特に写真の背景にある人の部分を
大切にされている方だと思います

写真洗浄以外にも様々なことに携わられて来た方です

そういった中で目の前で出来ることだけでなく、当事者のありのままを
理解しようと常にされています(ふたつの震災も10冊買われたとか)
被災状況も復興状況も違う中で大切なことは何か

当事者にはなれないし、苦しみは分かれないけど
少しでもありのままの言葉、感情を理解しようとする中で
思いを救い上げ、寄り添おうとされる中で
得られてきたものは本当に大きいんじゃないかと勝手に思っています

支援する支援されるからお互い必要とされあうような存在へ

「寄り添う」から「関与できる」になれば、これからいくつもの物語を
当事者の方との間に生み出すことができるかもしれません

決して簡単なことではないけれど、でもそれが出来る方だと思います

失ったものが生み出すはずだった物語
それを通じて新しい物語がいくつも生まれて欲しいと思います


2012-06-10

『ふたつの震災』

2012y06m10d_195732515.jpg

思い出探し隊の発起人竹澤さん夫妻のことが書かれています

当事者のありのままの言葉・感情をほんの少しでも理解しようとする
きっかけになる本かもしれません

ただこれもありのままの一部であるということ
彼女は人に物を伝えるときには必ず
「一意見だけど」「やな思いさせるかもしれないけど」
と前置きされています。でも少しでも聞いてくれるなら伝えさせてくださいと
そういうスタンスで話されます
間違っても当事者代表のような振る舞いとは無縁です
伝えること一つにも私達では想像できない葛藤・苦労・思いがあって
その上でだということ

ただこの本にはそういったところまでは書かれていません
TVも同じだと思いますが・・・

メッセージ性の強い部分だけにスポットが当たることに対しても
色々な影響はあったと思います。
伝える側がそれをどこまで考えれるか・・・




当事者以外が当事者の方について話したり伝える際にどれだけ影響や
使うべきじゃない言葉まで考えられるか

最近とあるブログを見て思いました
内容は控えますが、ちょっとうーんという内容でした
当事者じゃないのに、その思いを背負うみたいな内容だったのですが・・

私達がそういったことを伝えるときには必ず
それをいう資格があるのか、その言葉を使っていいのか
考える必要があると思います
思ったり想像したりするのと、言葉で伝えるのは別だと思います
また誰が言うかによっても変わってくると思います

現地のことや当事者のことを伝えるのは確かに人の耳目を集めることではあるけど
そこには少なからず影響もあります。自分の思ってもいないところで気持ちのすれ違い
を起こすこともあります




かつて思い出探し隊で活動してくれていたGさんが伝えてくれた「言葉の怖さ」
伝える側になってくれてる方にも改めて考えて欲しいと思います


2012-06-04

ご縁があり、ハーバード大のマイケル・サンデル教授とお会いさせて頂きました

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20120531-OYS1T00211.htm

2012y06m01d_215929671.jpg

西南学院大学の講義
この講義の後に対談という形でお話する時間を取ってくれました

講義を受けて感じたこと

それは意見の対立をプラス感情を生むように持って行くことが出来る人だなということであり
また分かりやすい例を出すことにより、意見を言っていない人も参画している感覚を
大いに持つことができていたんじゃないかということでした

お互いの立場を尊重し、より理解しようとする中で芽生える感覚

勿論一般社会で実現するのは容易ではないと思います
借金を抱え明日が見えない中でそういった境地を維持できる人はそうはいないでしょう

ただそこを埋める答えがこの一年被災地で活動してきた中で
分かってきた気がします(勝手な思い込みかもしれませんが)



話は変わりますがサンデル教授はコミュニタリアリズムという考え方をされています
本の一節ですが
「自己はコミュニテイの中に存在し、コミュニティの歴史の中で『どういう生を
生きるのが良いか』という善に対する考え方があり、そういう中で人間は成長し
自らの人生を物語のように生きていく存在である」と

以前来られた一橋大の栗田さんという方を思い出しました
経験した写真ボランティアが正しいことなのかずっと考え続けたけど
結局答えが出ず思い立ってゆりあげまで来られました。
一日写真を探している人に接して「人には人が必要と感じた」と感想を言っていました

また神戸の教育理念「人は人によって人になる」も同じかもしれません

写真洗浄も今目の前で出来ることだと思います。ただそれで満足することなく
それだけでいいのかという問いを改めて自分に問うこと
見えないありのままの姿や感情がまだあるんじゃないか
今本当に見ようとしても見えなくなりつつあるものを感じようとする気持ち
それが人を思いやる隣人への第一歩なんじゃないかと思います

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