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2012-08-24

21日にゆりあげ小学校から写真を移動しました

18日から21日まで東京からMM思い出返し隊、法政大の皆さんが来られ
連日移動準備を行ってくれました。
また21日には「思い出探し隊を助け隊」の皆さんが約一年ぶりに手伝いに来てくれました

2012y08m24d_002158937.jpg

体育館の様子

外に置いていたものを皆さまが中に移動させてくれています
8月にあと2回、学生さんが来てくれる予定です

皆さま遠いところ、そして暑い中、本当にありがとうございました!


2012-08-15

最近世間話の中で、霊感が強い人は被災地でも色々感じるらしいよ
みたいな話を聞きました

それを最近まで何の気もなしに、普通にしていたのですが・・・
今日何の配慮もなかったことに気づかされました

逆の立場から考えてみて、自分が遺族だったらどう思うか
亡くなった家族が霊にされてしまい、それを関係のない人達の世間話に
されたらどう感じるか

「たとえ霊であっても逢いたい」そうおっしゃっていたご遺族の方も
いらっしゃいました

でもだからといって、興味本位で話題にされて気分がいいはずは
ないと思います

自分自身がアナザーサイドで想像することが、本当になくなってきている・・・
アナザーサイドがない中での、話し合いなんかで違和感を感じていても
流してしまっているなと最近感じます

いや、正直言うと違和感すら感じなくなってきているのかも・・・
私がじゃあ100ある中で30が想像できるかって聞かれても、決して出来ないと思います




「善い事」は「プラスを起こすこと」
「正しいこと」は「マイナスを起こさないこと、そしてプラスを起こすこと」
(個人的な考え方でスイマセン)

「プラスを起こす」のと「マイナスを起こさない」どちらが大切か
順番で言えば「マイナスを起こさない」の方が先だと思います

そしてどちらが大変かというと「マイナスを起こさない」ことのほうが
考えるべきことはずっと多いと思います

なぜなら「現実」なしには考えられないから

でもやっぱり「善い事」じゃなく「正しいこと」を考えて欲しい
そうすれば見えるものも変わると思うし、思いや感情をコントロール出来ると思うし
多分それは本当に大切なことだと思います


2012-08-07

思い出探し隊発起人の方のブログより
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今見てた体操みたいに・・・

立て直せない、マイナスがマイナス呼んでる感じにはまってきた


少し前に仙台写真洗浄をしてくださっているボランティアさんから
連絡を頂いたけど、その返信には私の本音を入れてしまいきっと傷つけた
自分が自分の意志でしたことだけど傷つける可能性をわかってした返事に
、なんかもう嫌になった自分のことが。

悪気がなく傷つけた・・・なら、言い訳もできるけど、
傷つけること想像できたのに・・・

苦しい。人と関わるのってしんどい。そう思ったのがきっかけで
体調崩して探し隊離れたのに・・・またそこに気持ちが戻ってしまった


私をすごくすごく気遣ってくれてる人なのに・・・たった一言の単語に
敏感になってそういう言葉使わないでほしいと言ってしまった・・・
こんなに私のことを考えてくれてる人なんだから、我慢すればよかったのに
・・・甘えて・・・言ってくれてありがとうと言ってくれたのに、
絶対嫌な思いさせたと思うと、しんどい・・


もちろんこうやって自分が気づいてることばかりじゃなくても
だれかを傷つけてるかもしれない


そう思い始めてずっとずっとずっと考えてたら・・・
人と関わるのがしんどくなってきた・・・

さらに自分の言葉にも、相手の言葉や行動にも過敏になって
今まで以上に傷ついたり、逆に無視されても傷ついたり・・・

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以前気持ちのすれ違いを起こしたと書きました
某団体の方々が私に思い出探し隊に協力させて欲しいとの申し出が
あったのですが、お断りしました

「もし逆の立場だったら、今洗浄のことを当事者でしかも発起人の方に
聞いても大丈夫だろうか?」
「分からないけど写真が大切という文言を当事者の方に使っても
いいんだろうか?もしかしたら今それどころじゃないんじゃないか」
「苦しんでいる方と、ボランティアの目線の違い、現実がある場で
今の自分たちの考えで大丈夫だろうか?」

そういう配慮があれば、安心感につながるのですが
物への思いに支配されているのかな・・と不安があったのも事実です
今のままでは気持ちのすれ違いが起きる可能性が高いのかなと・・・




これまで起きた気持ちのすれ違いは基本は全て同じだと思います
いくつかの違いはありますが、目線の違いをコントロールできるかできないか
感情や思いをコントロールできるか、コントロールされるか

最近マスコミの方と話す機会があったのですが、どこも活動を継続したり
人が集まるためには、正しいと思う気持ち、必要とされたい意欲、楽しさ、
満足などある程度の物がないと継続は難しいと言っていました
私もそれは正しいと思います

言い方を変えると活動を続ける中でそれが当たり前で必要と感じ、それが
正しいと思う人は出てくるのが自然かもしれない

「何もしないよりは写真一枚でも救ったほうがいいんじゃないか」
「楽しみも必要じゃないか」
「少しでも綺麗にすることが正しいと思う」

意見は人によって様々ですし、それはいいと思いますし、ある意味自然な論理です
ただ、そもそも論的に考えると、それは当事者や現実、苦しみといった部分
からはかなり離れている部分でもあると思います

逆にボランティアの継続の論理が通ってしまう世界は、継続している場では
ある意味自然な場かもしれない。そこを覆すのは時間が経てば経つほど
難しくなってくるなと最近実感しています

ただそこを自分の中でコントロールして、相手や場所状況に応じて配慮出来なければ
また気持ちのすれ違いが起きてしまうのかなと・・・





お知らせ
ゆりあげでの展示はお盆を持って一旦終了となります
湿気の影響が出てきたためで、写真以外のものはそのまま展示します

今後の再展示は時期が決まり次第、市役所より告知する予定です

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